






昭和28年、下町情緒あふれる大阪・生野区で三人兄弟の長男として誕生。自宅は商店街の一角、そろばん教室の2階にあった。下町は、垣根が無く人情味にあふれていた。近所の家に食事によばれることもしばしば。こうして気さくな庶民感覚は自然と養われた。
東京の創価高校に進学。親元を離れ、自立した青春時代を送る。北側少年が熱中したのはサッカー。後にサッカー部は全国大会に出場するまでになった。創立者は度々来校し全員を人材にと一人一人をはげます。北側少年もその一人。懇談の折「この中から医者や弁護士、国会議員も出るよ」との言葉に、庶民を守る弁護士となる決意を固めた。
創価大学入学後、司法試験をめざして勉学に励み、卒業後も京都で働きながら勉強を続けた。下宿でいつも励ましてくれたのは地域の同志だった。そして昭和53年ついに合格。昭和56年に晴れて弁護士に。28歳の青年弁護士はサラ金、地上げ、悪質訪問販売などの被害者の声を徹して聞き、庶民を食い物にする悪徳業者とは法廷で真っ向から闘った。綿密な調査と、すぐに飛んでいく現場主義を心条とした。生活者を守る姿勢と、鋭い言論の力はこの時養われた。